世界の水族館からイルカが消える日。市場社会から水族館の存在意義について考えた。
前回の記事では、イルカの追い込み漁についてお話しました。
その後、水族館に連れてこられたイルカは一体どんな生活を送っているのでしょうか。
水族館の醍醐味とも言えるイルカショーは、今世界から消えていっているのはなぜなのでしょうか。
今回は、日本の水族館の在り方についてお話ししていきたいと思います。
ストレスフルな水族館
まず、追い込み漁の段階で家族と引き離されることはイルカにとって大きなストレスになります。
その後の水族館の暮らしは、自然の海とはかけ離れたものです。
自然界では生きた魚を餌としていましたが、水族館で与えられるのは冷凍の死んだ魚です。
これでは水分と栄養素が足りないため、チューブを体に入れられます。そうすることで、体に負担や影響を及ぼしています。
次に、常同行動について。
これは、心理的なストレスから生まれる異常行動のひとつです。
明らかな目的を持たず、同じ行動を繰り返すことであり、自傷行為に繋がります。
例えば、ガラスやコンクリートにぶつかる。柵を噛む。食べ物を吐き出してから再度食べることを繰り返す。長い間、動かずに浮く。他者(飼育員や、他のイルカ)への攻撃。同じ場所をぐるぐると泳ぎ回る。など、様々な行動が挙げられます。
柵などを噛むことで、イルカの歯は折れてしまします。
感染を防ぐために、折れた歯に穴をあけて、毎日抗生物質で治療します。この状態で病気になってしまうと、抗生物質が効きづらくなってしまいます。
世界の水族館からイルカが消えている
こうした背景も含め、世界のあらゆる国ではイルカや鯨を水族館で飼うことを禁止したり、厳しい規制をかけたりしています。
オーストラリアでは1985年から、イギリスでは1993年からイルカの飼育の規制強化や禁止をしています。近年では、ニュージーランドやインドなど様々な国が動きを見せています。
ブラジルでは、厳しい規制の為に水族館自体がありません。
2016年には、カリフォルニア州にある世界的に有名な「シーワールド」が、「シャチを飼っているなんて信じられない!」という風潮で、来場が激減したことをきっかけに、パークの目玉であるシャチの繁殖・飼育を辞めることを表明しました。イルカやアシカなどの海洋哺乳類においてもショーや繁殖を中止する世界的な潮流となるきっかけになりました。
遅れている日本。誘客目当て?
アメリカでは、1980年代以降から野生イルカを捕まえることなく運営しています。
ヨーロッパでは2013年の時点で、飼育されているイルカの数は323頭で、その75%が人口で繁殖されたイルカで、野生のイルカは82頭でした。日本のイルカの飼育数は約590頭で、その約90%が野生捕獲のイルカです。
2015年5月、世界動物園水族館協会(WAZA)からの圧力を受け、日本動物園水族館協会(JAZA)が、追い込み漁からのイルカの入手を禁止しました。
その年の9月、追い込み漁を行い、水族館にイルカを販売している太地町の「町立くじらの博物館」がこの決定に反発し、JAZAを退会しました。
2017年4月には、新江ノ島水族館や、しものせき水族館など4施設がJAZAを退会しました。
新江ノ島水族館の担当者は、追い込み漁について、国が認める合法的なものと説明しています。また、脱退の背景には、誘客の目玉であるイルカの安定的な入手体系を確保するという意図があったといいます。
2018年には、新江ノ島水族館で開催されたセーリングW杯の開会式で行われたイルカショーは世界的に批判を浴び、大きなニュースになりました。
なぜ、日本は遅れているのか
日本動物園水族館協会(JAZA)には、「種の保存」、「教育・環境教育」、「調査・研究」、「レクリエーション」の4つの役割があります。
イルカのショーを含め、レクリエーションを中心の経営を続けてきた日本の水族館は、欧米諸国に比べて、その他の取り組みが遅れていると言われています。
その理由の一つとして、日本の地理的要因が挙げられます。それは、周りを海に囲まれ、“死んだら新しく供給すること“が容易であったこと。それにより、飼育環境を向上させようとする流れになりにくかったと考えられます。
そして、もうひとつ大きな要因として考えられるのが、消費者の関心です。
欧米では、「シャチを飼っている水族館なんてありえない!」「そもそも種と買うべきものではないのでは」という風潮があり、ことあるごとに大きくニュースで取り上げられます。人々の動物の権利や福祉への関心の高まるなかで、永続的に現状の運営を続けることはできません。
反対に、日本ではいまだに水族館のイルカショーは大人気です。W杯の開催式で、国際的な批判を受けたときも、「なぜこんなにも批判が起きているの?」という人が多かったはず。それくらい、関心に差があるということが如実に表れているのだと思います。
お金を払えば所有できる市場社会
人々が1年に1回行くかも分からないような場所のために、動物の自由を奪う権利はあるのでしょうか。魚やイルカに会いたいなら、海に行けばいいと思うのです。その方が、本当の意味で生きた魚やイルカたちを見ることができる。
ガラスの水槽に閉じ込める必要はないと思うので、かつては年パス所持者であった私ですが、もう水族館に行くことはないと思われます。
世界の動物の権利や福祉への関心が高まるにつれて、水族館がイルカなどを飼い続けることは経営上リスクが伴います。これからは、日本でも水族館の在り方が変化していく必要性が必ず出てくると思います。あなたは、どうあるべきだと思いますか?
私は先日「父が娘に送る経済の話」という本を読みました。
その中で、市場社会で人間は、なんでもかんでも“利益になる”と判断すればお金を払って手に入れようとすると書いてありました。
これがいかにおかしなことなのか、私は読んでいて怒りと悲しみがこみ上げてきました。
そもそも自然は誰の所有物でもないはずです。
人間以外だれも許可などしていないし、する必要もありません。
それなのに、木になる果実を売りさばき、それがなくなりそうになれば、土地を囲い、自分の物としました。現代では、便利なものを不必要なほど生産する為に、大量の資源を利用し、環境を汚染し続けています。
今に至っては、排気ガスの排出権まで売買されているというので本当に呆れます。
水族館のサカナたちも同じです。彼らは自然の中で生きているはずなのに、人間の娯楽のために、人間によって所有され、商売道具になっています。
市場社会で人間が利益を追い求めること。この経済の成長によって、私たちの生活は、本当に豊かになったのでしょうか?
私には、人々が次々と生まれ永遠に満たされることない欲に溺れているように見えてしまします。そして、その満たせない欲を満たすために、不必要なまでに資源が乱用され、今地球環境が崩壊しそうになっています。
本当に、一度立ち止まるべきだと強く思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
明日も、素敵な一日になりますように。