【太地町】イルカは食べてはいけないのか。イルカ漁から肉食について考えた。
あなたは水族館のイルカたちがどこから来たのか考えたことはありますか?
繁殖もひとつの例です。
しかし、繁殖における技術面や施設面のハードルはとても高いです。
では、繁殖ができない場合はどうするのか。
それが、今回お話するイルカの追い込み漁です。
イルカの追い込み漁って?
年間約1000頭のイルカを水族館に転売したり、食肉用として捕殺したりしています。
(現在、水族館へ野生のイルカを供給しているのはこの太地町だけです。)
この追い込み漁が残酷であるとして世界中から批判を受けているのです。
まず、12隻のイルカ漁船が毎朝沖に向かって野生のイルカの群れを探しに行きます。
イルカを発見すると、漁船は群れを囲み、水中に音を立てイルカを混乱させながら入江へと追い込みます。
群れを閉じ込めた後、イルカトレーナーによる選別が始まります。
水族館用に選ばれなかったイルカは、食肉用としてその場で槍を刺して殺されます。
イルカの群れは家族であり、とても強い絆があります。
群れから引き離されることは、イルカにとって大きなストレスになります。
世界の動き
EUでは、1997以降、野生のイルカの捕獲と取引が厳しく規制されました。
スイスやイギリスにはイルカを飼育する施設はありません。
アメリカでも、1972年に海洋哺乳類保護法により、水族館が野生のイルカを捕獲することが厳しく規制されました。
2013年の時点で、ヨーロッパで飼育されているイルカは323頭で、その75%が人口で繁殖されたイルカでした。これに対し、日本が飼育するイルカの頭数は590頭で、その90%が野生のイルカでした。
和歌山県の見解
和歌山県は、公式ホームページにてイルカ漁に対する見解を公表しています。
その主張を抜粋して3つにまとめました。
①伝統である
紀南地方は山が多く、耕作地が乏しかったため、鯨やイルカを捕るようになったのは環境に適応するための当然の結果である。海外から動物愛護団体がやってきて、一方的な価値観で批判することは、この伝統を侮辱するもので許されない。
また、日本では肉以外にもその他の部分を、工芸品に活用するなど余すことなく利用している。かつて、油の採取のみを目的として、鯨をとっては他の部分を海に捨ててきた一部の外国とは違う。
②牛肉や豚肉を食べるのと何が違うのか
太地町では、鯨やイルカの供養祭を行うなど、自然の恵みに感謝をして食べている。
日本では、自分たちが生きるために捧げられた命に対して「いただきます」と言って感謝の心を表す。イルカだけではなく、牛や豚にも生きる権利があるが、肉を食べるためにこれらの動物は殺されなければならない。このように動物を区別することは理解できない。
日本と同じように、鯨を捕獲している国もある。食べている国もある。
③できることはしている
漁は、科学的な調査に基づいた捕獲数を守っているので、無秩序に捕獲しているわけではない。
捕獲方法に関しても、2008年12月以降からは、デンマークのフェロー諸島で行われている捕殺方法を取り入れ、捕殺時間は95%以上に短縮され10秒前後になっている。傷口も大幅に小さくなり、出血もごくわずかになった。
また、家畜の解体が人目に触れないよう、専門の施設内で行われているのと同じように、イルカの解体も人目に触れない場所に移された。
ちなみに、出血が少ないとされるデンマークのイルカ漁の様子がこちら。
(参考:CNN.co.jp : クジラ漁の血で海が一面赤に、保護活動家から批判 フェロー諸島)
伝統は不変ではない
ここからは、私の個人的な考えです。
すべてとは言いませんが、伝統はその時代の人々の考えや、技術の進歩とともに変わるものだと思います。
はがきがその一例です。若い人で新年にはがきを送る人は今、どれほどいるでしょうか。メールやラインに代わっているはずです。鉛筆はシャーペンに、固定電話から携帯電話、スマートフォンに、伝統を含め、様々なものは時代と共に変化していく。
だから、伝統が変わるのはダメなことではないし、ポジティブな面もあると思うのです。
動物を区別するということに関して。
私がお肉を食べなくなったきっかけのひとつが、自分自身が種差別をしていることに気が付いたからです。犬や猫は大好きだし、動物園に行けば動物に癒されます。それなのに、食卓にならんだお肉は、ばくばくと食べていました。人間も動物も命の重さは同じはずです。それなのに、人間が食べるために、劣悪な環境で育てるなどぞんざいに扱っていいはずがない。「いただきます」という言葉、感謝すれば食べていいのか。これが、自分の中ですごく腑に落ちたのです。
だから、みんなが食べているからいいでしょみたいな言い回しは、すごく違和感があります。もちろん、動物を食べる食べないの選択は、個人がすればいいことですが、「区別しているのは誰なのか」これは誰もが向き合うべきだと思います。
そして、もうひとつ。捕殺は人から見えない場所でやるということ。
今まで何度が紹介してきた動物性の肉の話。これはいずれも、消費者の目に見えないところで行われていました。そんな状況が消費者の目にとまれば、みんな買わなくなってしまうからです。
目の前に、一匹の子豚がいるとします。あなたは、ナイフでその子豚を殺すことはできますか。
お肉を食べるとはそういうことです。あなたがお肉を食べるためには、誰かが動物を殺さなければなりません。お金という対価を払うことで、その過程を誰かに任せているということを忘れてはならないと思います。
消費者が見えない裏では何をやってもいい。
和歌山県の見解はそんな風に言っているように感じてしまいました。
あなたはどう思うのか
あなたはこの事実をどのように感じましたか?
どうあるべきだと思いましたか?
この問題を知っていた方は少ないかもしれません。私は、つい最近まで知りませんでした。
社会にはこうした問題がごろごろ転がっていて、解決するには人々が目を向けなければなりません。
実際に、イルカ漁は需要があるから行われています。イルカの肉を食べる人がいて、水族館でイルカショーを楽しむ人がいる。
それを変えたいと思うなら、反対だと声を上げる必要があります。
(捕鯨の場合、51億円の税金が使われていますので、無関心である間に自分たちの収めたお金がこのように使われていいのかという話でもあります。)
イルカ漁に限らず、家族や友達とこういう問題について話し合ってみてください。
そうやって少しずつ社会が変わっていったらとっても素晴らしいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
明日も素敵な一日になりますように。